雑談目次

 秋祭り

 

 小さな古い社のはるか上に欅の大木が伸びている。その欅に晩秋の陽がひっかかった。黄葉した葉が光の中で震えている。鳥居のわきでは祭りの大きな幟が静かにはためいている。

 小さな境内に四,五十人のおじさん、おばさん、おばあさん、おじいさんが集まっている。若者や子どもはいない。でも、みんなニコニコ、お赤飯やおしんこをほおばっている。

 こうじやの春夫さんは社の濡れ縁に立ってカラオケだ。「・・・日本海・・」と半分禿てしまった頭をゆすっている最中だ。もう半分出来上がっている。神社の濡れ縁は、広くて、高いから、舞台にはうってつけだ。社のわきでは、一升ビンがおじさんやおじいさんの間を回っている。話に夢中で歌など聞いてはいない。

 今日は、昨日までとうって変わって小春日だった。お昼に始まったお祭りは、神輿が出るわけでもない、はっぴ姿の若者が闊歩するわけでもない。まあ、何とか歩けるおじいさんと、おばあさんと、その予備軍たちだけのお祭りだ。祭りといっても一人一曲づつカラオケを順番に歌っていくだけだ。祭りらしいのは、鳥居わきののぼりと、参道に沿ってつるされたちょうちんだけだ。そのちょうちんだって、明かりは入っていない。みんな夜までやる体力はないのだ。

 私たちヨサコイ連はその祭りに呼ばれた。その神社の近所の人が私たちの仲間で、頼まれたてきたのだ。カラオケだけでも寂しいから、踊りでもいれっぺ、ということみたいだ。

 まあ、理由なんかどうでもいいのだ。踊れるなら私たちはどこへでも出かけていく。

 それで、みんな派手はでに化粧をし、頭を盛り上げしっかりお祭りだ。で、カラオケの合間に踊った。酔っ払いの声援がいっぱい飛んできて、負けじと、掛け声を張り上げて踊った。赤飯をご馳走になったから、エネルギー満タンだ。

 

 お日様があっちの屋根まで落っこちて、二回目の出番だ。それもおおとりだ。欅の頭だけが輝いている。ざわざわ渡っていく風が冷たい。鳴子を鳴らし、トントン奴を踏み、「ドッコイショ。ドッコイショ」と掛け声をかける。冷たい風が気持ちいい。

 酔っ払いたちの声援で、静かな祭りはおしまいになった。いつまでも騒いでいる酔っ払いを残して、おばさんやおばあさんはさっさと帰っていく。おじさんたちが、ちょうちんを下ろしていく。薄墨の夜が足元にしのんできた。私たちも化粧を落として帰り支度だ。祭りはまた来年だ。

 

 

 百舌

 

 パンジーの苗の移植をしていたら百舌が鳴いた。今年も来たんだな、と桜の木を見上げた。

 何年か前、最初に聞いたときは百舌とは思わなかった。低い嗄れ声だったからだ。しばらくはちょっと変わった鳴き方のひよどりだな、と思っていた。百舌の声は、記憶ではもっと高くキーキーと鳴いていたように思っていたからだ。桜の葉が落ちて、見通せるようになると、上下に尻尾を振って鳴く姿が見え、百舌だとわかった。

 毎年この季節になるとやってくる。電線やテレビのアンテナにとまって鳴くときもあるが、桜の木の天辺で鳴いているときが多い。枝垂桜だから、天辺の枝も天を向かず、横に伸びてから枝垂れている。その横に伸びたところにとまって空に向かって大声で鳴く。

 

 見あげても、まだ、桜の葉がかなり残っているので角度が悪いのか百舌の姿は見えない。「百舌が枯れ木で」ではないな、と思う。

 そして移植の続きに戻る。苗はまだ400本は残っていそうだ。花屋では、そろそろ花の咲いたパンジーを売りだすころだが、素人の私の苗はまだ小さい。それでも12月ころには咲き出すはずだ。植えながら、もずが枯れ木での歌を頭の中で歌っている。

「兄さは満州へ行っただよ。鉄砲が涙で光あっただ。もーずよ寒いと鳴くがいい。兄さはもーっと寒いだろ」

 満州の寒さは分からない。やはり戦争中鉄砲を持って中国に行っていたという父の話では、ドアのノブを素手で持つと手が凍りついて取れなくなるといっていた。寒いところなのだろう。

 そんな寒い所にどうして鉄砲など持って行ったのだろう。でも寒いのは、兄さばかりではなかったろうと考える。その鉄砲を向けられた満州の人たちはもっと寒かったろう。その鉄砲でたくさんの満州の人たちが殺されたのだろう。何で、日本の人たちはよその国まで行ってたくさんの人を殺したのだろう。何で満州まで行って彼らの大事な土地を奪い、ものを奪ってしまったのだろう。

 人に鉄砲を向けたとき兄さはどんな気持ちだったろう。撃ち殺すときはどんな気持ちだったろう。鉄砲を向けられたとき、満州の人たちはどんな気持ちだったろう。悲しいことだ。みんな苦しみの中にいたのだろう。

 戦争は、みんなを苦しめるだけだ。いい事なんか何ひとつもない。それなのになんで兄さは鉄砲を持って満州までいったのだろう。

 

 先日、手持ち無沙汰で、チャンネルを回していたらオバマ大統領がアメリカ軍の基地で銃の乱射のために亡くなった人のために演説していた。いやだから、すぐ違うところに回したが、アメリカのためになくなった偉大な犠牲者に、国民がもっと感謝の気持ちを持てば、みんなもっとがんばれるだろうといっていた。

 アメリカ軍は、よその国に鉄砲を持って出かけて、たくさんのアフガニスタンや、イラクや、最近はパキスタンの人たちまで殺している。アメリカがどこにあるかさへはっきり知らなかったろう人たちが、突然やって来た人たちに悪人呼ばわりされて殺されていく。それを始めた、ブッシュ前アメリカ大統領は、そのことで大もうけした石油会社の社長だという。チェイニー福大統領は大もうけした軍需産業の社長だという。

 

 あの時も、日本人の中に、兄さの行った、満州や朝鮮を植民地にしてたくさんのお金を手に入れた人たちがいたのではないのだろうか。その人たちは絶対に鉄砲の弾が飛んでこないところにいて、おいしいものを食べていたのじゃないだろうか。ブッシュ元大統領や、チェイニー元副大統領のように。そして、平和と愛国心を説きながら、やはり、パキスタン人まで加えて殺させ続けている、ノーベル平和賞をもらったオバマ大統領のように。これからも、子どもらを守れ、国を愛せよという高らかな声の下、何十万、何百万の人たちが戦争で殺され続けていくのだろう。

 戦争は、どちらの国の人々にも苦しみなのだ。偉大な犠牲になる人も、その人たちに殺された人たちにも。そして、いつも、その陰で大もうけしている人たちがいるのだ。

 

 自衛隊の運んだアメリカ兵や、武器や、燃料を使って、国際軍は、何百万人ものアフガニスタンや、イラクの人たちを殺してきた。どれくらいの町や村を破壊したことか。許可のない報道は許されないからだれも知らない。自分の頭の上に爆弾は落ちないけれど、よその国の人を殺す手伝いをしている。何でそんなことをするのだろう。そしてこれからもそれを続けるのがアメリカとのいい関係をつづけることだといっている人たちがいる。

 ブッシュ前大統領も、オバマ大統領も正義の剣といっているけど、何百万もの人の命を奪って、町や村を破壊して、それを命令した人たちが大もうけするのが正義とはどうも解せない。ひょっとして、日本にもおこぼれに与かっている人たちがいるのじゃないだろうか。

 

 百舌はどこかに飛んでいってしまった。秋の日ざしがやわらかい。世界中のだれもが、秋にはパンジーの苗を育てられればいいのにと思う。銃弾に追われてそれどころではない人たちが何億人もいる。食べるためにそれどころではない人たちが何億人もいる。そして、金儲けのためにはなんでもするが、パンジーのことなど知らない人たちがいる。ほんの数千人のその人たちが、手段を選ばす世界の富をかき集めているという。

 おっとっと、と思う。こんなこと考えながら植えてるとパンジーがいじけてしまうな、と。でも、「鉄砲が涙で・・・」、とまた歌っている。

 

 

 

地球温暖化

 

 中国と、アメリカが炭酸ガスの削減目標を出したということが二千九年十一月二十七日の朝日新聞の一面に出ていた。ついこの前、日本も炭酸ガスを二十五パーセント削減するという目標が新政権の下で決められた。

 

 地球温暖化についてテレビで見ない日はない。エコカーなどの減税コマーシャルがほとんどだが、とにかく溢れている。何がはやっているといって、これほど世界規模ではやっている出来事は、新型インフルエンザとこのことくらいであろう。ビートルズだって顔負けだ。

 人類の未来がかかっているということなのだろうけど、こうなると、アンチ人間である私としては、なんとなく胡散臭い目で見てしまう。というより、それ以前から温暖化について二つの疑問があった。

 

 ひとつは、温暖化によって人類が困ったことになる、という意見に対してである。

 地球温暖化によって困ることはなんだろう。

 最近は見なくなったが、以前よく言われていたのは、海面上昇であるようだ。氷河が崩れている映像と、太平洋の島が海に沈むというのを以前はよくやっていた。大変だと思う。その後どうなったのか。ベネチアや、オランダなども困るだろうが、その話は聞かない。洪水対策が昔から国の命運を分ける国だから、対策は十分なのだろう。日本にも低地はあるのだろうけど、海面上昇で困っている話はまだ聞かない。今のところ、被害は一部に限られているようだ。もちろん今大丈夫だからといってほうっておくわけにはいかない。将来大変なことにならないようにというのは、大切なことだ。ただ、小泉さんも将来のために今痛みを、といって改革したけど、その将来がやってきたらこのざまだ。痛みは何倍にも膨らんだが、いい事はひとつもやってきていないようだ。温暖化だって、将来ここまで海が来るなんてシュミレーションやってるけど、怪しいものだ。政策のための嘘は日常茶飯事なのだから。

 そのほかに、温暖化による異常気象で、大型台風が増えるとか、旱魃が広がるとかいろいろいわれている。これも今のところまだ大丈夫のようである。

 ところで、温暖化はいいところはないのだろうか。

 ある本によると、炭酸ガスが増えると植物の光合成が増えるので、作物がよく実るという話があった。米や麦などのでんぷんは、空気中の炭酸ガスと水が原料であるから、炭酸ガスが増えると実りが多くなるというのだ。温室内の炭酸ガス濃度を上げて、作物の収穫量を上げようとしている実験を高校生のころクラブ活動で見に行ったことがある。もう四十年以上も前のことだ。

 温度が上がると、海水の蒸散量が増えて、雨が増えるという。旱魃より、洪水のほうが増えそうである。しかし、作物になくてはならない水が増えるのである。旱魃に悩む地域には朗報であろう。

 また、温度が上がると、作物の成長が促進されるのは、日本中に広がっているビニールハウスでもわかるとおりである。その上、気温は、熱帯より、寒帯で上がるようだから、作物が育たなかった寒冷地にまで耕作可能地域が広がりそうである。昔、やはり温暖なときがあって、グリーンランドでも、作物が取れた時期があったそうだ。そのときヨーロッパから移民が行って畑を作って暮らしていたという。名のとおり、一部はグリーンランドであったらしい。その後、寒冷化して、作物が取れなくなって、行った人たちは全滅した、という話を読んだことがある。今またグリーンランドの氷が解けているからといって移民するのは考えものではあるが、温暖化によって寒冷地の耕地面積が増えることは考えられる。

 すると、炭酸ガスと、雨と、温度の上昇と耕地面積増で世界全体の作物の収穫量は増えそうである。これは人類にとってはよいことかもしれない。飢餓に苦しんでいる人たちは何億人もいるというのだから。

 実際、歴史上の日本の飢饉は地球寒冷化のときに一致している。これは、地球規模で起こっているから、ヨーロッパでも同じ時期に飢饉が起こっている。特に寒い地域ではそれが顕著で。ヨーロッパでジャガイモが取れなくてたくさんの人が飢え死にしたという例もある。そのとき多くの人がアメリカ大陸に渡って行ったという。その結果、アメリカの先住民が悲しい目にあうことになったのだが。

 もっと長い地球の歴史を見ても、温暖化の時には生命は繁栄し、寒冷化のときには衰退したということだ。氷河期などその典型例だ。

 地球の温度が二度上がると、どれくらい作物が増産できるか試算した人はいないのだろうか。いてもマスコミは取り上げないかもしれないが。

 地球温暖化は、デメリットばかりがいわれているけれど、メリットもあることはあるのだ。ひょっとしてメリットのほうが多い可能性さえあると個人的には思ったりしている。

 

 第二は炭酸ガスによる温暖化は本当か、ということである。

 地球は、人間がまだいなかった時期でも、寒冷化したり、温暖化したりしている。恐竜の時代はひじょうに暖かかったようだ。その暖かさが恐竜の繁栄の原因であったという意見がある。その後、寒冷化によって恐竜が滅び、哺乳動物が代わって繁栄していったという説だ。その説だと哺乳動物はちょっと寒めのほうがいいのかもしれないが、それもひとつの意見であるから、本当かどうかは分からないことだ。

 それはさておき、地球の温度の上下は、今まで46億年の間は人間とは関係のないところで起こっている。それも、地球全体が氷河に覆われたらしいといわれている時代や、地球からほとんどの氷河がなくなっていた時代まで、大きな変化をしている。

 世界中に、氷河によって削られた谷がある。北欧のフィヨルドは有名だ。そこはかつて(一万年か二万年か前)氷河に埋め尽くされていたところだ、今は氷河はなく、緑に覆われている。氷河がなくなったのは、地球が暖かくなったためだ。それは人間が炭酸ガスを出す遥か以前の出来事である。炭酸ガスとは関係なく地球は暖かくなっているのである。

 では何が原因でそのような温度の変化が起こったのだろう。一説では太陽活動によるということだ。太陽は、最近の観測では活動に周期があるのが発見されている。有名なのは11年周期である。11年ごとに極大期になり、その間に不活発な時期があるという。これが地球の温度に関係しているらしい。それだけでは説明しきれないということだ。そのほかにも、雲の量、氷の量、地形などいろいろな要因が複雑に絡まりあって地球の温度は決まっていくらしい。そのひとつに炭酸ガスもあるという。

 だが太陽の活動が大きな要因であるのは考えられることだ。部屋も、ストーブをがんがん焚くと暑くなり、火を小さくすると温度が下がる。もちろん、内張りや外張りの断熱材の効果も見逃すことはできないが、いくら頑張っても暖房しなければ寒くなる。地球の温度のほとんどすべては太陽の熱なのだから、太陽の活動によって地球の温度が左右されるのは確実である。

 数年前、活動の極大期になったあと、低下した太陽活動が、去年極小期になり、その後戻らないという。通常の十一年周期なら戻っていかなければならないはずなのにいまだにもどらないという。歴史上の寒冷化による飢饉のときも、太陽の活動が低下したままのときに重なるという。このまま太陽活動の低下が何年か続いたら、ひょっとして、地球寒冷化になるかもしれない。そのときは、地球規模で飢饉がまた訪れる可能性がある。それは人類に大きな打撃を与えかねない。ひょっとしたら、この炭酸ガスが、それを防ぐ切り札かもしれない。そんなことで防げるならではあるが。だが断熱材の効果も大きい。

 ところで、温暖化が炭酸ガスのためだけではないとすればなぜこんなにも騒いでいるかである。なぜだか、他の理由や、反対意見はマスコミでは報道されない。一切封じられているのでは、と思われる観さえある。

 復活した産業がある。原子力発電所である。ヨーロッパでは、この騒ぎの、前まで原子力発電所は継子扱いされていた。それが復活している。日本でも追い風である。しかし、反対に化石燃料は悪役になった。ブッシュ大統領は石油産業の社長である。地球温暖化の火付けをした人はブッシュ大統領に敗れた人だ。これはかんぐりすぎかもしれない。まあ真相はわからない。

 個人的には、どちらかというと、このまま温暖な日が続くほうがいいのじゃないかと思っている。太陽の活動が復帰しなければ、大変なことになるような気がする。自然の力は大きいのだ。必ず氷河期は再来するのだから。これが氷河期につながるとは思ってはいないが、小氷期はたびたびやってきているのだし。まあ、太陽の復帰がほんの少し遅れているだけで、すぐ復帰すると思うが。 

 

 

うわさ話

 

 みちこさんの喫茶店はみどりさんと私だけだ。「最近一人も客が来ない日があるのよ、こんなことって今までなかったのに」、とみちこさんは嘆いている。この不況で、喫茶店でお茶飲みどころではないのだろう。一番節約しているのは外食だという調査結果をテレビでやっていた。でも、年金暮らしの私は、物価が下がったので暮らしやすくなっているのかなあ、と思ったりしている。でも赤字には違いないから大差はないみたいだけど、ときどきお茶飲みくらいはできるのだ。

 

 なにが経済大国だと怒ってみても仕方がないけど、貧困世帯が七人に一人だという発表があった。それも四年前の統計だ。その後も給料はつるべ落としで下がっているというから、もっと大変になっていることは確かだろう。 首相は、株の配当の金で何十億もの偽装献金をしているとか。あるところにばかりしか金は回っていかないみたいだし。

 

 「恵子さん来たのよ」とみちこさんが言う。

 「へえ、帰ってきたの」とわたしは義理で答える。恵子さんのことはあんまり興味がないのだ。

 恵子さんは、一月ほど前から家出をしているという。どこかで月決めのアパートを借りて生活しているという。もうすぐ還暦だというのにたいしたものだと思う。

「すっごいおしゃれして入ってきたのよ」

とみちこさんがいう。

 私もここで何度か合ったことがある。夫がひどいことを言う、とよく言っていた。一種の精神的家庭内暴力があるのだろう。だから、みちこさんとはよく気があうみたいだ。

「暴力がないだけいいのよ」とみちこさんは言っていた。

 とても仲が悪かったようで、家出したらしい。

「昔からの家で、いっぱい土地を持っているし、会社もやっているしだから、親が気に入っていっぱい勧めるから結婚したんだって。あんな人と結婚させてすまなかったって母親がいつも謝るって」

とみちこさんが言った。もう何度か聞かされた。

 「もういい大人なんだから、いつまでも親のせいにしててはしゃあないんじゃないのかなあ」と控えめに答える。

みちこさんは解せない顔だ。

「だって、恵子さんの若いころは、学生運動とかで騒いでたときの後じゃないのかなあ。親のいうとおり生きる時代じゃなかった気がするけどなあ。みちこさんだって自分でいいと思って決めたんだろ。みどりさんだって、見っけ、ってよその人の恋人奪っちゃったんだし」

「だって、私の、ってシールついてなかったもん」みどりさんはニコニコ言う。

 うちなどは久美子の親が反対したから結婚したようなものだ、と思ったけど、言わなかった。

「しっかり家出してるんだもの、強い人よ」とみどりさんが言う。

「だよな。普通はなかなかふんぎれないないものな」

「もういっしょにいるのが耐えられなかったのよ。同じ部屋にいるだけでゾゾッとするのよ」みちこさんが言う。さすが経験者だ。

「なら分かれたらいいのに」と私はあっさり言う。

「そうはいかないのよ」みちこさんはいう。

「嫌われている人と結婚していなきゃならない男も不幸だよ」

「男が悪いのよ。嫌なことして恵子さんを軽蔑するから嫌われて当然よ」

「そりゃそうだ」と私は折れる。

「嫌いあってても、男と女はすることはするでしょ。そんなのとっても不幸よ」みどりさんが過激なことを言う。

「だからって家出してたって解決しないと思うけどな。さっさと分かれて自分の道見つけなおしたほうがいいような気がするけどな」

「女の人はそうはいかないのよ。お金がないでしょ」

「そうだよな。でもなあ、金だけでくっつかれてる旦那も不幸だよな。違う人なら好かれるかもしれないのに」

「だめよ、そんな男は誰にでもひどいことするのよ」

「こんにちは」ドアが開いて、女の人が顔を出した。なんと、恵子さんだ。

「いらっしゃい」みちこさんが笑顔で明るく言う。

「こんにちは」

 みどりさんと、私もあわてて言う。そして顔を見合わせる。

「かぼちゃ食べる。今、家に行ってきて、もって来たのよ」ビニール袋をカシャカシャいわせて、恵子さんはかぼちゃと柿を取り出す。

「ありがとう、そんなにいっぱい食べきれないから、みどりさんも、高田さんにも上げたら」みちこさんが言う。

「いいわよ。ひさしぶりねえ」恵子さんは私たちに向かって言う、とってもニコニコ顔だ。家出の最中だとはとても思えない。

「ほんと、久しぶりだなあ」と返事する。

「坐ったら」みちこさんが言う。

「妹外で待ってるの」

「呼んだら」私が言う。

「妹忙しいのよ」

 みちこさんが奥から持ってきた袋に、柿やかぼちゃを分けている。

「どれ、行ってみるから」私は財布を取り出す。

「わたしも」みどりさんも財布を取り出す。

 私たちはそれぞれにかぼちゃと、柿の入った袋をぶら下げてそそくさと外に出る。

 外に出て、顔を見合わせる。みどりさんがいたずらを見つかった子どものようにくすっと笑う。

「びっくりした」と小さな声でいう。

「うわさをすればってあるね」

 私も小さな声で言う。そして二人で顔だけで笑う。

 みどりさんは灯油を買いに行くといって走っていった。私は薄闇の中をスーパーに走っていった。もうすぐ師走だ。

 

 

 

 ぼたん雪

 

「寒いね」

 みちこさんの喫茶店に入りながら言う。

「いらっしゃい。夕方からは雪だって言ってたわよ」

 みちこさんが答える。

「三月なのになあ」と座りながら答える。

 先客は、最近来るようになった米倉さん一人だ。米倉さんは私より少し若いかなあという感じの人だ。何度かあったのだが、無口な人だから、どこで、どんな暮らしをしているのかは分からない。

 

 「最初はバイクの車庫だけと言ってたのよ」とみちこさんが米倉さんに話している。私が来る前に話していた続きなのだろう。

「息子昨日来たの」と私の前に水を置きながら言う。

「それが、いつのまにか、家を建てることになったのよ。はじめは、一部屋とトイレくらいでいいか、って言ってたのに、昨日は、リビングや、キッチンや、寝室や、いろいろ調べてきて、もう本格的なのよ」

「それがいいよ。結婚して建て替えるというわけにもいかないから、建てるときはちゃんと建てなきゃ」以前から経緯を聞かされている私が横槍を入れる。

「大工さんにいろいろ補助金が出るって言われて気が変わったみたい」といって補助金の説明をする。

「最近息子さんよく来るね」と私は言う。

「そうなの。土地のことがあるから」

 息子さんが家を建てるのは、何年か前にみちこさんが買った土地だ。

「いいね。大きくなっても頼りにされてて」

「いいよね」

 珍しく米倉さんが口を挟む。

 みちこさんは、しばらく息子の家の話をする。一段落したところで、みちこさんはやっと私の紅茶を入れに厨房へ行く。息子の話になると、いつも客の注文などほっぽりぱなしなのだ。

 米倉さんが、

「いいよね、子どもと話ができて。うちは、話さなくて」と珍しく自分から話をする。

「ほんと。うちも大きくなってからあんまり話さなくなったなあ」と私も言う。

「小さいころはいっぱい話して仲良かったんだけどね」米倉さんはため息

をつきそうな顔だ。

「反抗期じゃない」私は軽く答える。

「いや、その歳はとっくに越えてる」

「親子っちゃ難しいから」と私も自分の子どもたちを考える。

そして

「うちも共通の話題がないんだよな」と軽く言う。

「それならいいんだけど。そういうことじゃないから」

「難しいんだ」

「いや、難しくはないんだ。単に行き違いだけなのは分かっているんだけど。それがね」

 私は返答が見つからない。ちょっと話が途切れる。みちこさんが洗い物をする音がする。

「以前、息子にね、文句を言ったんだ」

 米倉さんが、逡巡した後、話の接ぎ穂を接ぐ。

「話の内容が軽薄だって。それ以来なんだなあ」

「それくらいで」

「いや、その後が良くなかったんだなあ。パパに似てる、と息子が言ったのに。いや似てないといったんだ。それがこたえたみたい。あれは、私のことが好きだったんだ。それを文句言った後に似てないといったもんだから、すごくショックだったんだろうなあ」

 私は返す言葉がない。

「いや、そんなことを言った本当の意味は違うんだよ。私は社会性があんまりない人間で、それが嫌でね。息子はそんなところが似ないようにと思って育てたんだ。親が言うのも変だけど、ずいぶん社会性はある子になった思う。そういう意味で誉め言葉として似てないって言うつもりだったのが、舌足らずで、おれに似ずだめだと取ったみたいなんだ」

 私は黙って聞いている。

「ずっと、生まれてから、一度も息子を怒ったり文句を言ったりしたことなかったからね。息子はどうしていいか分からなかったんだと思う。だから、似てるって言ってほしかったんだよ。それを似てないといったもんだから」

「そうなんだ。それなら、ちゃんと話してやれば解決するんじゃない」

「そう、そうなんだよな。それはわかっているんだけどなあ。一番肝心なことが言えなくて。おれはほかでもずうっとそうで。何もかも中途半端で、解決しなくて、ずるずるでね」

「いや、それはおれも同んなじだなあ。でもこのことは話さなきゃだめだよ」

「そう」米倉さんは言い聞かせるように言う。

「息子もずっと苦しんでる」

「そうだよ。今日話したら」

「いや、東京にいるから」

「電話とか、手紙とか、何でもあるじゃない」

「そうだよな」

「延ばしちゃだめだよ。延びてる間ずっと苦しみは続くから」

 みちこさんがやっと紅茶を運んできた。

「私は料理が好きでね」

 それを機に話がそれる。

「ずっと夕飯しを作ってたんだよ。今日は何うまいもん食べさせてやろう、と思ってね。息子が喜ぶのがうれしくて、食べろ食べろで。息子が太っちゃって。悪いことしたのかもしれない。難しいもんだよな」

 米倉さんの顔に笑みが浮かぶ。息子の子供のころを思い出したのだろう。

「私なんかね、人生で何が良かったって、それが一番なんだなあ。まあ、高田さんから見れば子どもに飯食わせたのが人生の一番楽しかったことなんて、何だそれ、って感じだろうけどね」

「いや、そんなことないよ。子どもはいいよ。子どもが喜んでいる顔は一番だよ」

「今もね。盆と正月は帰ってくるんだけど、帰ってくると、何うまいもん食べさせてやろうかなって、そればっかりでね」

「そうなの、子どもは別なのね」

 みちこさんが話に割り込んできた。

「ほかの人だったら絶対土地渡したりしないけど、息子は別なのよね。使ってもらうと、お礼言いたくなっちゃう」

「そんなもんだよなあ」と米倉さんも言う。

「今は帰ってきてもぶすっと食べてるだけでね。寂しいというか、苦しいんだなあ。それでも必ず帰ってきてくれる」

「今日絶対話さなくちゃだめだよ」と私は言う。

「そうだよな。話さなくちゃな。ずっとそう思っているんだけど、どう話していいか分からなくて」

「今話したように話せば」

 米倉さんは考えている。

「息子さんがかわいそうだよ」と私は言う。

「そうなんだ。あれも苦しんでる」

「話せばあっさり解決するよ」

「そうだよな」

 米倉さんは少し明るく言う。

 本当は私が言うまでのことはない。米倉さんはしなければならないことを確かめたかっただけなのだ。好きだってことを言ってやればそれでみんな解決するのを知っている。でも、一番言わなければならないときに、一番肝心なことが言えないのは日本人の悲しい性なのかも知れない。

「雪だわ」

 みちこさんが言う。窓の外は季節外れのボタン雪。

 

 

 

 

   八重桜祭り

 

 静峰公園は春の光に満ちている。水のない緩やかな谷筋に沿って芝が張られ、桜がたくさん植えられている。八重桜祭り、の大きな看板が入り口に掲げられ、たくさんの人がその芝生に陣取っている。でも、八重桜はまだつぼみのままだ。代わりに普通の桜が山の中腹に並んで、満開の花を風に揺らしている。本当はこの公園のメインの八重桜が咲いているはずが、今年は咲かない。昨日は、観測史上二番目に遅い雪だったし、今日も光は淡く春の光だが、山すそから上がってくる風は冷たい。

 わたしたちもブルーシートに座り込んだ。先に来て席取をしていたおばさんが、「はいお弁当」といって細長い弁当を手渡してくれた。「あら、夕飯じゃないの、食べてきたわよ」と受け取りながらいっしょに行ったおばさんが言う。「食べてきちゃったわよ」と、あちらからもおばさんが言う。「あれ、弁当出るって言うから、おれ食べずに来たよ」とわたしはいう。「そうよ。おいしいわよ。稲荷弁当ちょっと有名なのよ」と弁当係のおばさんが鈴を振るように言う。

 おばさんたちがあっちにもこっちにも集まっている。斜面の芝では、子どもたちが、ダンボールや、そりに乗って、芝スキーをしてはしゃいでいる。

 風は冷たいし、八重桜はまだだけど、久しぶりの晴れた空に花見に出かけてきたのだろう。でも、こちらでわいわいやっているのはおばさんがほとんどだ。みんなヨサコイ大会に踊りに来たひとたちだ。ヨサコイ大会は八重桜祭りの一大イベントなのだ。もうしっかり衣装に着替えているグループもある。でも、始まるまでにはまだ二時間以上もあるし。私たちの出番が来るのは、五時間は先だ。だから「店見に行こ」といって、露店を冷やかしに行った。観光課のテントではそばを打っていた。

「いや、すごいね。速いし。ぴったり同じ太さだよ」私はいっしょのおばさんに言う。私の地区の敬老会でも、毎年、おじさんたちがそばを打ってふるまう。そのときの切り方は、太さもまちまちだし、速度もとてもゆっくりだから、その違いに感心したのだ。

「すごいわね」とおばさんも言う。でもあんまり感心していない声だ。そして振り掛けてる粉を指して、「これメリケン粉」と聞いている。

 

 「ビール飲む」と、飲んべの誉れ高いおばさんに言う。「おごってくれたら」「いいよ」と、お祭りだから私も気前がいい。

 ビール飲みのみあっちこっち冷やかしながら、的屋の屋台も回ったらけっこう疲れた。観光課のテントと、的屋のテントは公園の下と上に分かれているから上り下りが大変だった。途中でおばさんが納豆クレープをひとつ買った。一っ欠け分けてくれた。

 席に帰ると先に帰っていたおばさんたちは、化粧をはじめていた。目元を真っ赤に塗ったり、青く染めたりと、まあ、ここぞとばかりだ。

「ちょと、それじゃおとなしくてだめよ」と、歌舞伎役者のように鼻筋を白く塗ったおばさんが、ほかの人の鼻筋にも白い線を塗りまわっている。「恥ずかしいからいやいや」といいながら、みんなうれしそうに塗られている。その上、キラキラ星をくっつけあったりと大変だ。

「高田さんも塗りなよ」といわれたけど、いつものように、笑ってごまかした。大きな野外ステージでだから、小さなきらきらなど観客からは見えないと思うのだけど、みんな大はしゃぎだ。

 

 桜並木にぶら下がった雪洞(ぼんぼり)に灯が入った。ステージではヨサコイ大会がたけなわだ。でもまだ出番ではない。公園の通路の両側にずっと並べられていたカンテラのろうそくに火が着けられた。公園に長い光の帯が交差した。すっかり暗くなった。さあ、出番だ。寒いなどといってられない。上着もセーターも脱いで、グリーンの衣装に着替える。

 舞台に上がった。ライトが真正面から強い光を投げかけている。まぶしくて、観客も回りも何にも見えない。踊りは絶好調だ、腕を振り、足を高く振り上げて、踊りまくる。広い舞台を縦横無尽だ。ぐるぐるみんなで渦巻きを作る。ライトがいろんなところから照らしていた。まぶしい。と思ったとたんにどこが正面か見失ってしまった。気がついたら、一人取り残されている。しまった、と思ったが手遅れだ。

 

「ひょっと見たら。高田さんが、真ん中で一人で立ってるじゃない。何してるんだろうて、思ったわよ」

 帰りの車で、大笑いだ。

「あれ、どっちが正面だ、と思ったら、どこがどこやらわからなくなって」

「正面なんか関係ないでしょ。前の人についていったらいいんだから」

「そうなんだよ。それがあれって思っちゃったんだ」と言い訳をする。

「先生は去年と比べてどこが上達したか見てくださいって紹介したのに、今日は列がぐちゃぐちゃだし。去年より下手になってどうするの」

「そうなのよ。あの紹介がいけなかったのよ」

 もうみんな憤懣やるかたないのだ。みんなもけっこう失敗したみたいだ。

「だから、先生も緑の衣装がきれいでしたねって、衣装誉めるしかなかったのよ」

 私たちのヨサコイの先生はこのヨサコイ大会の司会をしている。終わったとき明るい声で誉めてくれたのだ。

「今度の練習のとき、先生に何よ列がぐにゃぐにゃでって言われるわよ」 

「来週おれ休みだ」

「休んだら、高田さんがあの時遅れたからだってみんなで言っちゃうわよ」

「わ、死んでも行く」

 で、みんなで途中で元気ラーメン食べた。ラーメンを待つ間、違う車に乗っていた、ビデオを撮っていたおじさんの持ってきたビデオを見た。みんなきれいに跳ねていた。気合も入っていた。スポットライトの中で衣装も光っていた。私だけやっぱり舞台の真ん中でうろうろしていた。「ここだ」といってみんなで笑った。みんなとっても楽しそうだ。

 隣に座ったおばさんが「高田さんの小さいわね」と言って、チャーシューなんか一枚くれた。持つべきは友だ。缶ビール一個の花見だったけれど、いっぱい盛り上がった。

 

 

 

 

ツマグロヒョウモンその後

 

 

 ツマグロヒョウモンがいた。

 いつものように、義父の残していった農業用の水のタンクの中の金魚に餌をやりに行くと、朱色の蝶がその前の地面にいた。まばらに生えた小さな草の葉にとまっては少しづつ飛んではとまりしている。驚かさないように、立ち止まった。去年の秋と同じように、菫の葉に止まって、葉の下に尾を曲げている。すぐに、ひらりと飛び去った。

「つまぐろひょうもんがいたよ」と妻の久美子に報告する。

「そう」と片付け物をしている久美子が言う。このところ、久美子は家中をひっくり返して、片っ端から古くなったものを捨てている。三十年を越えると、家中物であふれてしまって、もったいないとはいっていられなくなってしまったのだ。

「まだ五月になったばかりだから、南から渡って来たんじゃないはずだから、冬が越せたみたい。小柄だから、春型の子どもだな」

「そう。これ、いらないわよね」久美子はいろいろな電化製品のコードが入った袋を見せる

「いらないよ。新しいのはみんな必要なコード付いてくるから」

 冬眠から覚めたばかりの久美子は忙しいのだ。

 私は台所に行って、水を飲むと、また外へ逃げ出した。4月に撒いた花の種の芽が伸びだして植え替えなければならない。

 今年は春になってから寒さが続いたけれど、ゴールデンウイークになって急に暖かくなった。ツマグロヒョウモンもそれで浮かれて飛び出してきたのだろう。

 数日後、花の苗に水をやろうとして、外に出たら、目の前にふわっとツマグロヒョウモンが現れた、塀の前のパンジーの花にひらひら戯れている。見ると、前の羽は、濃い紺色に白の紋は鮮やかだが、後ろの羽が半分ほど、千切れてすだれになっている。

 蝶はすぐに飛び去った。わざわざ姿を見せに来たようだなあ、と思う。

 

 空いたところに冬物をしまっているのを手伝いながら、久美子にその話をしようと思ったが言わなかった。久美子はやはり忙しそうなのだ。

 小さく見えたのは、後ろ羽が半分なくなっていたからなのだろうか。なら、去年の蝶がそのまま越冬したのかもしれない。冬の間に羽が千切れてしまったのかもしれない。去年と同じところに来て、卵を産むしぐさをしていたから、多分そうだろうと思う。そうか生き残れたのかと思う。

 その後しばらくして、いつもの菫に卵を産んでいるのを見たのが最後だった。もう三週間になるが、見かけない。天寿を全うしたのだろうか。それともほかの場所に行って菫に卵を産んでいるのだろうか。でも、どちらにしろ蝶の一生は短い。彼女の子どもたちが、この夏にたくさん飛んでくれるとうれしいのだが。

 久美子の片付けは、家の中から、物置に移っている。大奮闘だ。

 

 

 春宵

 

 たそがれの中に人影が二つ見える。今日もいた、と二人を見る。

 日課の犬の散歩の途中で、ここ何日か二人の中学生に遇う。散歩もほぼ終りのころで、あと少しで家に着くという所にある信号だ。その二人は自転車を降りて話している。

 その信号で私も渡る。最初に遇った日、信号が青になっても二人は渡らずに話していた。気がつかなかったのかなあ、と思った。次の日もやはり二人は渡らなかった。それで、話が切れないんだ、とほほえましくなった。

 

 犬もここまで来ると、疲れるのだろう、出かけのころの勢いはなく、ゆっくり歩いている。私はのんびり引かれながら昔のことを思い出す。

 

 ぼくらは鉄道の高架の下を歩いていた。

 先ほどから、松尾は小説の話をしていた。「本を積み上げて、レモンを乗せて」と言っている。私はそれのどこが面白いのだろうと思ったが、黙って聞いていた。

 春の日は高く、それを避けて高架の影をたどっていた。土曜の昼。高校の帰り道だった。いつもは、上の鉄道に乗り、私は一駅、松雄は二駅乗って帰っている。

 私も小説はたまに読むが、たいがい、冒険物や、SF物だった。だからそういう種類の小説の面白さは分からなかった。純文学という言葉も岩波文庫も彼から初めて聞いた。

 彼は延々と小説の話をしている。いつか自分も小説を書くのだという。

 ぼくらは、剣道部でいっしょだった。かっこよさにあこがれて入ったのはいいが、二人とも厳しい練習についていくのさえ大変だった。その上、勉強も、ちんぷんかんぷんだった。

 だから学校は苦痛だらけだった。まあ、劣等生というのはそんなもので、勉強や学校なんかは大嫌いなものだ。ではやめてしまえばよさそうなものだが、そうはいかない。親も先生も、学校に行って、ちゃんと卒業しなければ、生きていく道はない、としか教えない。私も素直にそう思い込んでいた。卒業するという道しか思い浮かばない。そんなだから、卒業した後のことにまで考えが及ぶことはない。将来の夢や希望どころではなかった。今、足元が崩れそうなのである。ただとにかく卒業するということしか頭になかった。だから、今の苦痛から逃れる方法はなかった。ただただしがみついていることしかなかった。

 歩きながら彼は作家の夢を語る。私には語るものがなかった。

 

 アスファルトの照り返しが暑かったのを思い出す。あの時、松尾もあの夢にしがみつくしかなかったのだ、と思う。

 何年たったろう、と考えてみる。四十六年。ずいぶん来たものだ。その後もずっと劣等生をやっていたなあとほろ苦い。やっとこの前それが終わった。最後にとうとう逃げ出した。それでも、とにかく何とか年金生活者に滑り込めたのだ。結局何とかはなったのだろう。国自体が上り調子だったから私みたいな者でも何とかなる時代だったのだろう。

 

 あの子らは何を話しているのだろう。振り返ると、夕闇の向こうで、まだ信号の下にいる。信号の光が鮮やかさを増している。

 彼らの夕闇が、楽しい話であればいいのだが。 

  

 

烏柄杓(カラスビシャク)

 

 隣の母親のところから帰るとき久美子が小さな草を指して「これなんていうの」と聞いた。

 我が家の塀はアスファルト道路との境に30センチほどの土の部分がある。そこは本来道路の一部なのだが、草をはやしておいても仕方がないから花を植えている。といっても、砕石交じりの土だから良くは育たなくて、この春のパンジーは草よりはましくらいだった。

 そこに、咲き終わったパンジーの代わりに松葉ボタンと、バーベナの苗を植えた。そのバーベナのわきに耳掻きぐらいの細い草がすっと伸びている。先が緑の筒になっていて、中から、細いひげが長く出ている。

 ちょうど、マムシ草とか、浦島草を小さくしたような草だ。伸びていたのは花だ。

「これ、カラスビシャク。へそくりの語源になった草」と、以前新聞で読んだことを話す。

「へそくり」と久美子が聞く。

「これの根が漢方薬の半夏生って薬になるんだって。これ、どこでも生えるから、嫁さんが草取りの合間に採って薬屋に売って金貯めてたからだって。オエっとなるのを止める薬らしい。漢方薬って、臭いがきつかったりいろいろ飲みづらかったりするからはいちゃうんだって。はいちゃ薬にならないから、それを止めるために漢方薬に混ぜるみたい。だからいっぱい必要らしい」

「半夏ってのは、ほら、季節用語、なんてたっけ、」

「啓蟄とか、夏至とか見たいのなの」

「そう。半夏のころに生えるので、半夏生って言うみたい」

「はんげしょうって草もあるでしょ」

「ああ、あの、葉っぱが半分白いやつ。あれは半分化粧しているという意味の半化粧ていうんだって」

 それも、以前上司から聞いた話だ。

 玄関について、話はそれっきりになった。けっきょく、なんでへそくりの語源になったかは説明しなかった。久美子は別にそんなに興味はないから、それ以上話す必要もなかったし、私も、何を話していたのか忘れて、思いつくまま話していたから、それでいいのだろう。

 

 松葉ボタンも、バーベナもあまり伸びていない。松葉ボタンは種を蒔いた。バーベナは、差し芽をして増やした。だからまだあまり育っていない。土も良くないし、梅雨に入って、陽射しがないのも影響しているのだろう。でも、どんなところでも育つ丈夫な花だから、日が照れば伸びだし、真夏には暑苦しいほど咲いているだろう、と期待している。

 

 ところで、へそくりだが、からすびしゃくは、こんにゃくと同じ仲間で、こんにゃく玉を小さくしたような球根ができる。1円玉くらいのその球根は、栗に似ていて、真ん中にへそがあるので、その球根のことをへそくりといったそうだ。そのへそくりを奥さん方が売って貯めたものだから、奥さんが貯めるお金のことをへそくりと言うようになったらしい。

 今ではそんなへそくりをする人もいないだろう。でも、今でも漢方薬はけっこう使うみたいだからへそくりは必要なはずだ。すると、へそくりを売って年金爺さんのへそくりができるかもしれない。

 

 

 

ツマグロヒョウモン3

 

 一気に真夏の空になった。梅雨が明けたのだろう。これからは、やっと大きくなってきたキンギョソウや、インパチェンスのプランターも、長く面倒見てきた盆栽の鉢もあっという間に干からびるので油断できない。

 

 盆栽に水をやっていると、ヒラリと、ツマグロヒョウモンが飛んだ。1週間ほど前か、伸び放題の草の葉に止まっているのを見かけた。春先見かけた蝶は羽が破れていたが、その蝶の羽は、鮮やかで、どこも痛んでいなかった。

 妻の久美子に、「ツマグロヒョウモンがいたよ」と報告した。

「痛んでない羽だったから、春のとは違う蝶だわ。ここでかえったのかも」

「よかったね」と久美子が言う。

「今いるということは、ここじゃなくてもこのあたりで育っているってことだ」

「住む範囲を広げてるの」

「多分。冬が暖かくなってるんだなあ」

「どこかに報告したら」

「いや、それほどのことでもないと思う。いろんな虫がドンドン北上してるっていうから」

 

 一週間前の蝶かどうかわからないが、今日の蝶は、菫に止まっては、腹を曲げ、産卵行動をしている。去年の秋の蝶と同じように、ちょっと飛んでは、次の、菫に腹の先を押し付けている。ということはオスもいるということだ。

 除草剤撒こうと思ったのに、と考える。砕石を敷いてあるから、鎌で取るのが難しい。今までももし蝶の幼虫がいたらかわいそうだと思ってそのままにしていた。でももうそろそろ限界だ。メヒシバが、大きくなって、いっぱい穂まで出している。大変だが手で抜くしかなさそうである。

 私はまた盆栽の水遣りに戻る。

 

 これで、ツマグロヒョウモンのことを書くのは三回目だ。よほど蝶が好きみたいである。子供のころの虫好きが高じて、押入れを空けると、蝶の標本箱がぎっしり、というようなことはない。標本はかけらもない。高校のころ、蝶好きの友達がいて、引っ張られて、何度か採集に付き合った。そのとき、もっと蝶好きの中学生から蝶の名前を教わった。もう40年以上前なのに良く覚えているものだ。漢字や人の名前は片っ端から忘れるのに。

 昔、植物学者になりたいと思っていたことがあったが、植物の名前を覚えるのが大変で、これは俺には向いてないと思って植物学者になるのをあきらめた。学者になるには、覚えられたものだけでいいや、というわけには行かないと思ったのだ。

 でも、考えてみれば、これまで適当な人生をやってきたのだから、それでも良かったのかもと思う。でき不出来は別にして。なんせ、仕事だって、できることしかやってこなかったが、何とか生きてくることはできたのだから。どちらにしろ、何をやっても中途半端にはなったろう。しゃかりきにやったところで、たいしたことはできなかったろうし。まあ、そんなふうに生きることが私にはどだい無理な相談だし。それでもまあ、何とか楽しくやってるのだから良しとしてもらおう。

 この暑さだ、草抜きは、涼しい日を見て、そのうちやることにしよう。 

 

 

不況

 

「年金より生活保護のほうが多いのよ。そんなのずるいと思わない。私なんか、ずっと納めてきたのよ」とみちこさんが憤慨している。

「いくらなの」と昌美さんが言う。

「六十五になって八万よ」と答えている。

八万あれば十分やっていけるの、とこの前まで言っていた。家賃いらないから何とかなる、という感じだった。一生懸命働いてきて、六十五になってそうなのだ。私なんか、怠けていたのに、もう少しもらえる。日本の男女同権は口先だけなのだ。

「年金捨てて生活保護もらおうかな」

「無理。くれないって」

と私はいう。

「クーラーあるでしょ。車あるでしょ。だめよ」昌美さんが言う。

「店やらないんだったら、車いらないもの」

「家があるし、土地もあるし」と私が言う。

 でも誰も生活保護の条件というのはどういうものかは知らないのだ。勝手な話は、本当はみちこさんが本気で生活保護になるつもりはない、と思っているから適当に言っているのだ。

「介護に行くでしょ。いろんなうちがあるのよ。この前生活保護のうちで、買い物頼まれたのよ。そしたら、エビフライなんか注文するのよ」と昌美さんが言う。昌美さんは、介護の人の生活介護を仕事にしている。掃除をしたり、買い物をしたりしている。

 今日は、仕事のことで、同僚から嫌なことを言われたから、ぐちをこぼしに来たのだ。

「時給1200円もらえるならやめることないわよ」と言うのがみちこさんの結論である。私も、

「そんなの無視しちゃいな。辞めたら、あっちが、やったあ、って、大喜びするだけだよ」と無責任なことを言ったりする。その後みちこさん得意の、年金の話になったのだ。

「生活保護受けてるなら、つましく暮らさなきゃだめじゃない」とみちこさんが言う。

「そうなのよ。裕福な人でも贅沢してはいないのよ」と昌美さんが静かに言う。昌美さんの口調はいつも静かなのだ。

 エビフライくらい食べたっていいじゃない、と思ったが黙っていた。

「働けばいいのよ」とみちこさんが言う。

「仕事を選ばずに働けば、月10万くらいは稼げるのよ」と都知事みたいなことを言う。

 昌美さんは黙っている。私も黙っている。

 集まりがあるとこの話が必ず出る。暮れの地区の集まりでも、正月の親戚の集まりでも怠けないで働けばいいのにという話だ。派遣村に集まる人は怠け者だ、の話である。

 彼らに残されているのは奴隷と変わらない仕事だけだ。働いても働いてもその日暮らしだ。

 派遣がタイヤを作る。安月給で、保険も、年金もない。いつ首をきられるか分からない。首を切られないように一生懸命彼らが作ったタイヤの利益が、鳩山首相や、お母さんの懐に何億何十億と入る。タイヤひとつ転がさないのにである。株主と、会社員の関係が戦争前の小作と地主のような関係になっている。派遣は一生水のみ会社員なのだ。

 

 弱い人がもっと弱い人を責める。そして、強い人を敬う。群れを作る動物の宿命なのか、マスコミの言うとおりにみんなの意見がなるのか分からないけど、弱きをくじき強きに従っていては、けっきょく自分の首を絞めることになるのに、と思う。この不況は、新自由主義という、金持ちだけに際限なく金が集まる仕組みが生み出したものなのだ。でもそれを説明しても誰も信じない。マスコミの意見と反対なのだから。

 

 

めだかの育て方

 

 今年もめだかの子どもを飼っている。もともとの始まりは、義父の残した白めだかだった。去年はその子どもが20匹ほど育ったが冬の間世話をしなかったので、半分ほど死んでしまった。白めだかなのに、子どもは、白と、青みがかったのが生まれた。

 その義父の三回忌の今年は、新しいめだかを買ってきた。

 数年前近くに農家の直売店ができた。そこに、去年の秋ごろから、めだかも並ぶようになった。それも、楊貴妃だの、パンダだの、だるまだの、いろいろな名前が付いためだかである。おもしろそうなのでそこから、光めだかという名前の付いたのを五匹買ってきた。朱色で、背中の一部が光っているめだかだ。多分何かの関係で光を反射するようだ。ところが買ってきて今までいた白めだかよく見ると、同じように少し光っている。それが少し、大きいというだけみたいだ。少し大きいといってもちいさなめだかだから大差ない。何だ、めだかってみんな光るんだ、と思ったけれどそのまま梅酒の空き瓶の中で春まで過ごさせた。

 春になって水草を入れてやった。三日ほどして、その水草をほかの入れ物に移した。そうしないと、孵っためだかを親があっという間にみんな食べてしまう。一週間ほどすると、10匹ほどのめだかがちりちり泳いでいるのが見えた。1ミリにも満たない、小さなめだかは目を凝らさないと見えない。二つの点々の目玉に、糸より細い小さなからだが付いている。なるほど、めだかの子どもだとうなずける。ところが、丈夫なもので、適当に餌をやっていると、少しずつ大きくなっていった。

 次々に水草を入れては移し変えると、あっという間にめだかの子どもが増えた。うじゃうじゃという感じに増えたので、以前金魚がいた60センチほどの大きな水槽に孵っためだかを入れた。

 育てていると、ドンドン大きくなるめだかと、いつまでも育たないのがいるのに気づいた。はじめは、生まれた時期の違いかと思っていたが、育たないのはいつまでもほとんど大きさが変わらないような感じがする。一月たってもほとんど同じ大きさ。ひょっとして、と思う。

 以前、マグロの話を聞いたことがある。マグロは太平洋の真ん中あたりの、赤道付近で卵を産むという。そのあたりは、栄養分が少なく、餌になるものが少ないらしい。そこでマグロは大量に卵を生んで、共食いをさせることで一部の子どもを大きくするという話だった。ほかのところで聞いた話では、詳しくは忘れたが、卵胎生のサメだったか、おなかの中で、子どもを育てるために、次の卵を身ごもって、それを、はじめの子どもの餌にして育てるということだった。いや、すごいなあ、と思ったもんだ。ひょっとして、めだかもそれをしているのかもしれないと考えた。育つ子どもの餌に、育たない子どもをいっしょに生んでいるのかもしれない。餌になる子どもは、えさとして小さいままでいるのが宿命づけられているのかもしれない。

 そう思って見ると、全体の数はなんとなく減っているような気がする。それで餌をまめにやるようにしたのだが。やはり小さなのはなかなか大きくはならない。

 この間、大きくなっためだかのおなかに卵が付いていた。でも小さなのはまだ小さなままである。3分の1くらいが大きくなって、3分の1くらいがほとんど大きくならないままで、3分の1くらいが食べられたような感じだ。でも数えたわけではないからみんな憶測である。あまり科学的ではない。

 今も次から次に子どもは孵っているのだろうが、それ以上は世話できないので、水草を取り分けないから、みんな親に食べられているのだろう。

 

 

ツマグロヒョウモン4

 

「今年はつまぐろひょうもんいっぱいだわ」と久美子に報告する。

「定着したんだ」と久美子は本に目をやったまま答える。

 久美子は寝転んで本を読んでいる。私は、天気がいいので、外に出て、花の見回りをしてきた。暑いさなか蒔いたためか、発芽がそろわなかったパンジーもこのところ涼しくなったので出揃っている。しゃがんで草取りをしている目の前につまぐろひょうもんがふわりとやって来て、菫に卵を産み付けだした。見ると少し離れたところでも草の間を這っていた。

 その報告を久美子にした。

「よかったね」と本から目を離さずに言う。

「雄もわかった。ほらこの前見た朱色だけのヒョウモン。あれがそう」と言う。数日前、久美子が、「これもヒョウモンね」と、生垣のところで指さした蝶のことを言った。

「いっしょにいたの」

「ううん、図鑑」

「なんだ、見たのかと思った」

「ちゃうちゃう。みんなに言ってやろ」といって笑う。

久美子も笑う。

「仲良しを見たと思ったじゃない」

「人様に見せるもんじゃないからな」と笑う。

 でも誰がお父ちゃんかというと、けっきょくそれしか確認のしようがないから、きっと誰かが見たのだろう。蝶の世界では雄と雌ではまるで模様が違うのがざらだから、同じ種類だと見分けるには、交尾をしているところを見つけるほかないだろう。世の中にはけっこう蝶オタクがいるから、きっといっしょにいるところを見たのだろう。ついでに言うと、ツマグロヒョウモンの雄には、前羽の先の黒い紋も、白い紋もない、ただ一面の鮮やかな朱色に、黒のヒョウモンが一面にあるだけだ。

 先日は幼虫も見つけた。盆栽に水をやっていると、朱色の毛が線状に生えている毒々しげな毛虫が、鉢の中に生えている菫の葉陰からコロンと丸まって出てきた。おやっ、ひょっとして、と思って図書館に調べに行った。図書館は、家とは田んぼをはさんだすぐのところにあるからとても便利なのだ

 図鑑には、雄と雌の成虫は載っていたが、幼虫の写真は出ていなかった。このとき雄が分かったのだが、幼虫は調べようがないな、とがっかりした。ところが、来たついでにと趣味の園芸という雑誌を見ていたら、ツマグロヒョウモンの幼虫の写真が出ていた。この蝶が全国に急速に拡大して行っている、という記事だった。なぜ園芸雑誌にかというと、パンジーの害虫なのだという。冬でも平気でパンジーを食べるのだと書いてあった。そうか幼虫で越冬するのだ、とふんふんと思った。このほかに分かったのは、春先の蝶は小型であるということだ。

 図鑑では、三重県が北限と書いてあった。この記事を見て、科学と、実益との差だなあと思った。実際の生活は日々刻々と変化する事実についていかなくてはならないが、科学は一度それが固定された定説になったらなかなか変えられないのだろう。変えるには、見ただけではだめで、ちゃんと論文にして、それなりのところへ発表して、それが、裏づけされて、公に認められなくてはならないのだろうから大変なのだ。それに、図鑑は改訂に年月がかかるが、雑誌は、週とか月ごとに出てそのときの最新情報を載せることが必要だということもあるのだろう。

 ここでも春に成虫がいてしかも小さかったのだから、ここで越冬したと考えてもいい。ということは北限は三重県じゃなく、少なくとも茨城県ということは言える。おそらくもっと北までいっているだろう。パンジーが食べられるのは困るけど、今のところ野生の菫を食べているからなのだろう、被害はないからうちでは良いとして駆除しないでおこう。赤とんぼも蝶も、こんな田舎でもずいぶんと少なくなっている。蝶のいない花壇は少しさびしい気もするし。

 

 

 

 

 

思い出話に花が咲く 

 

 松本さんと酒を飲むのは初めてだ。旧庁舎の庭に造られた町おこしの商工祭のビヤガーデン。長い日もそろそろ暮れかかり、ちょうちんに灯りが入り、どの席も明るい声があふれだした。

「丸一日歩くんだ」と彼が言う。

「知ってる。昔、高校のころ、蛍雪って雑誌に載ってたの見た。俺たちのほうはナンバースクールはなかったし、みんな共学だし、一高で、男ばかりで、1日歩き通すなんて、いやあ、漱石の世界だなあって、あこがれたね」

 私も、酒のせいで少し饒舌になっている。

「私たちのころは、まだバンカラの雰囲気は残ってたな。男ばかりの良さかな」

 彼もビールを口に運ぶ。 彼は私より少し年下だ。それでも、彼にしたってそれからもう四十年は立っているだろう。

 

「この前そのこと書いた小説読んだけど男女いっしょだったなあ」と、最近読んだ、その高校の歩く会をモデルにした小説を思い出して話す。

「ああ、あれ。今は共学だから」

「三年のとき。絶対一番になるって練習してたのに台風が来て中止だよ。がっくりきたなあ」

「そりゃがっかりするわ」

 私は周りを見回す。ちょうちんの輝きが増し、人はさらに増えている。みんなの話す声もいよいよにぎやかだ。

「内緒で、友達と二人で決行したんだ。土砂降りでね。風は強いし、走るどころじゃなかった。走りとおすつもりだったからね」

 彼はぐっとビールを飲む。

「成績悪かったからね。何でもいいから一回だけでもトップ取りたかった」

 私は答えなかった。彼は懐かしそうな顔になる。

 

 七五三、という先生仲間の業界用語がある。勉強を理解している子どもの割合のことだ。小学校で、勉強が理解できているこどもは七割、中学校では五割、高校では三割ということだ。当たっているかどうかはわからないけど、微分や積分を使いこなせる人が日本に何人いるかを考えたら、うなずけるような気もする。私も高校で習ったけどひとつも分からなかった。

「勉強なんて、勉強に過ぎないんだから」といってみる。

「そりゃそうだ。今になるとね」と彼も言う。少し酔っているのかもしれない。

「いいじゃない、今は商工会引っ張ってるんだから」

「順番だよ」

「いや誰もがやれるってことじゃないよ」という。

 私はジョッキにちょっと口をつける。でもほとんど飲まない。最近は少し飲むと気分が悪くなるようになったから、程々にしか飲まないようにしている。

「名誉なんてひとつも手に入らないのが普通なんだから。俺なんか地位も名誉もなんにもない年金暮らしの盆栽爺さんだ」

 私は飲み干した彼のためにビールのジョッキをひとつ取りに行く。

 彼は、この町から年に二、三人しか通らない高校を卒業している。小さな町の秀才だ。それが、その秀才の部分で躓いたとしたら高校時代は苦しかっただろう。でも高校は七割の人が、躓くどころか転んでいるという。私ももちろんその一人だった。世に出ても同じで、できないことのほうが多いのだから、四苦八苦渡っていくのが人生という宿命かも知れない。

 でも、こうやって、ビール飲んで思い出話ができるのだから、いいこともあるのだ。

 

 

  同居

 

 みどりさんが

「結婚したとき、最初の1ヶ月だけいっしょに暮らしたのよ」という。

 みどりさんの夫の実家は、みちこさんにいわせると昔はずいぶんとはぶりが良かったということだ。今も大きなうちにすんでいる。その実家に住んだことがあるという話だ。

 長男じゃないのに、と思ったけど話の腰を折らないように黙っていた。

「大変だったのよ」と続ける。

「食事ができるでしょ。どれだけ食べていいか分からないの。みんないっしょに食べるのじゃなくて、順番に食べるから後の人にどれだけとっておけばいいのか分からないの」

「そうなのよ。めいめい取り分けてあればいいのだけど、大皿なのよね」

とみちこさんが相槌を打つ。みちこさんも、その家の姪だから、こどものころから出入りしていたということを以前からよく聞かされていた。

「みんないっしょに食べるんじゃないんだ」と不思議に思って聞いた。

「お店やってたから、いっぱい人がいたのよ」

「なるほど」

 

 外は残暑がきつくて、熱中症寸前の私はみちこさんの喫茶店に逃げ込んだ。月曜日は図書館も休みだし、家はクーラーは壊れっぱなしで、涼しいところは去年息子に買ってもらったクーラーが涼しい風を送っているみちこさんの喫茶店くらいしか思いつかなかった。

「最後の人が食べて、残ったら、次の日は少し減るのよね。それも貧しいの」

 みどりさんは暗い顔になっている。

「そうなの。粗末なのよ」とみちこさんが相槌を打つ。

 みどりさんは「痩せちゃった」といって、モンクの絵の叫びにでてくる人のように両手で顔を挟んで、頬をへこました。

「私は、平気で食べたわよ」

とみちこさんが言う。

「玉子焼き自分で作って食べたら、叔母さんが作ってくれたのに、そのほかに作って食べるのは失礼なのよ、って母親に教えられたのよ」みちこさんは続ける。

 たぶん、それは末っ子の嫁と、赤ん坊のころから出入りしている姪の差なのだろう。いや、性格かな、とも思ったが。

「一ヶ月で出ちゃった」とみどりさんが言う。

 何でも、苦もなくヒョイヒョイとこなしているように見えるみどりさんでも、逃げ出すこともあるのだ。

 ずいぶん昔になるが、舅とうまくいかなくて、御飯が食べられなくなって、子どもを連れて出たという職場の同僚を思い出した。彼女も痩せたと言っていた。夫婦仲が悪かったわけではないから、時々外で会っていると言っていた。その人の夫は長男だったからいっしょに家を出るわけにはいかなかったといっていた。

「跡取りじゃなくて良かったじゃない」と言ってみる。

 そうかしら、という顔をしている。

「長男だと出るわけには行かないだろ」

「そうよね、お兄さんとこは苦労したみたい。でも出たわよ」

「やっぱり核家族だよ。連れ合いの親とは好きでいっしょに暮らすことになったわけじゃないし」と月並みなことを言ってみる。

「男が入るほうがいいのよ。男の人は、昼間仕事で外に出てるでしょ。帰ってきても寝るだけでしょ。たいしてごたごたにならないのよ」とみちこさんが言う。

「そうか」と準養子の私は考える。まあ、うちは同じ敷地といっても、家がそれぞれ別だったから問題は起こらなかったけれど、男だって同じ屋根の下に住んだら苦労することもあると思ったけれど、経験がないので言わずにおいた。

それで

「小糠三升あれば養子にいくなって言うじゃない」と結婚するときに職場のおばさんに言われたことを言ってみる。 

「そういうけど、男は楽なのよ。女の人は、仕事に出ても帰ってから家事をやらなきゃならないでしょ。親がいたら適当にはやれないし。私は夢中でやったけど」とみちこさん。

 みちこさんは核家族だけどよくがんばったという話は常々聞かされている。舅や姑ではなくだんなさんが非常に厳しい人だったということだ。

「それはみちこさんち。男も大変なんだよ」と私は男の肩を持つ。しかし、親と同居だったらよけいに男が家事をやるわけにはいかないだろうとも思う。そんなことをしたらかえって嫁の立場が悪くなるだろう。なんといっても根本は上下関係なのだから。

「時間だわ、おばあちゃんのところ行かなくちゃ」とみどりさんが財布を出す。もう歳をとってしまった義父と、義母をみどりさんが通いで介護している。いっしょに長く暮らしていた長男の嫁は、仲たがいしているのだという。長くいっしょに暮らしすぎたのだろう。

 外はまだ暑いけど、私もそろそろ帰らなくちゃ。あんまり遅いと、うちも、暑い中、半分歩けない妻の母の様々な用事と、家の家事をしている久美子の機嫌が悪くなる。たしかに男が入るほうが楽なのだ。

 

 

 夫婦

 

「私って何差別されたかしらって考えたのよ」と、みどりさんがニコニコ言う。

 先日、落合恵子さんの講演会があってその感想文を頼んだのだ。講演の内容は差別だった。それで、いろいろ考えてくれたみたいだ。

「女子高でしょ。男女差別はなかったし。兄弟は弟だし、職場でも差別はなかったし。近くに部落問題もなかったし、差別ってなかったのよね」と言う。そして、

「これ読んで、思いだそうとしてるんだけど、何話してたか思い出せないのよ」と、落合さんの書いた本を出す。

「だよな。すぐ頼むか、その前に頼んどけばよかったんだけどなあ。遅かったんだよな。ほかで頼んだ人もみんな忘れちゃったって」

「そうよ。言われてたらメモして聞いてたのに」

「お姉さんはね愚痴るのよ」

 みちこさんがやってきてみどりさんにカルピスを出しながら言う。

「私は聞きたくないのよ。いつまでもおにいさんの悪口を言ってるから、『死んでからまで悪口言うことないでしょ』って言ってやったのよ」

 みどりさんが来るまで私に話していた、みちこさんの義兄の葬式の話の続きを始めた。みちこさんのいつもの癖だ。話し出したことは最後まで話さなきゃ止まらないのだ。

「みんな同じだよ。茨城の女の人はだんなの悪口ばっか」と私は言う。みどりさんは話の腰を折られても、私が女の人の悪口を言ってもニコニコ、「やっぱカルピスよね」と、うれしそうにカルピスを飲んでいる。みどりさんは茨城出身ではないのだ。でも、茨城出身のみちこさんも私の言ったことに平気だ。いつもだんなさんの悪口を言っているけど、だんなさんが悪いからだとみちこさんは言っているから、本当のことだから悪口ではないと思っているのだろう。

「大阪の人は言わないの」

「ううん。わかんない。子供のころこっちに出てきたから」

 私は大阪出身だけど、大阪の人がどうなのかは実際よく分からない。大差ない気はしてるけど。

「エ、こどものころ」とみちこさん。

「高校終わったばかりだもん、まるでこどもだよ」

「そうよね」と還暦を越えたみちこさんも納得する。

「お姉さんは、あっちの部屋で寝るし。こどもら夫婦は二階で寝るし、私がお兄さんと寝かされたのよ。あれは何なのよ。怖くてこわくて寝られないじゃない」とみちこさんが言う。

「どこもそうじゃない」

「そうじゃないでしょ。私が隣の部屋に寝て、お姉さんがいっしょに寝るんでしょ。お兄さんといったって、お姉さんのだんなさんだというだけで私がそんなに仲良しというわけではないのよ」

「ほんとそうだよな」と私は適当に答える。

「言ったら、『私はずっといっしょだったのよ』って怒るの。それって変でしょ」と怖い声色を使ってみちこさんは言う。

「だって、みちこさんだってだんなさんが死んだら、そばに寝る」と私は鋭く突いてみる。

「おおやだ、葬式なんかいかないわよ」と別居中のみちこさんは言う。

「葬式は行きな。遺産もらわなきゃ損だよ」と現実的なことを言ってちゃかしてみる。悪い癖だ。

「顔見るのもやだわよ」

「おやじっちゃ損だよな。働いてはたらいて、終わったら濡れ落ち葉だってじゃまにされて、死んだらホッとされて。家族のための金稼ぎしか役目はないんだから」

「暴力を振るう男が悪いのよ。よっちゃん見たいに優しかったら捨てたりしないわよ」

 よっチャンはみどりさんのだんなで、みちこさんとはいとこだ。

「そうだよな。うらやましいよ。大きくなってまで子供べたべたしてるもんな」

 みどりさんはニコニコカルピスを飲む。そういえば、みどりさんからだんなさんの悪口を聞いたことがない。みどりさんは、きっとだんなさんのわきに寝てあげるのだろう。私はどうだろう。あっちにいくのを心待ちにされてたりして。窓の外の秋の日は穏やかで、まだ緑のままのしゃらの木の葉を柔らかく通ってくる。

 差別の話は立ち消えだ。感想文はけっきょく書かれないだろう。社会的な男女差別はたしかに大きく存在する。でも女の人がそれに耐え忍んでいるばかりとは限らない。女の人はそんなにやわいものじゃないのがこのごろやっと分かってきた。けっこう、差別を逆手にとって男のしりを引っぱたいたりおだてたり、頼りにしたりして、一生懸命働かせて、自分はのんびりしていたりするのだから。

 ずっと昔に聞いた古代のエジプトかどこかの諺に、国は王が動かす、王はおきさきが動かす。おきさきは、子供が動かす、というのがあった。日本ではおくさんが王様だったりするんじゃないのかな。